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ドイツ銀行不調の原因

Ein deutches Requiem, Op. 45: V. Ihr habt nun Traurigkeit

 中国経済が崩壊すれば、その道連れとしてドイツ銀行も破綻となるのはもはや自明ですが、その原因は冷戦以降の世界経済の変質にありました。

  日経の記事がよかったのです。

「 西独時代は株式の持ち合い、監査役の派遣、そして融資という3本柱でドイツを代表する企業と結びついていた。利ざやだけでなく、大量保有するダイムラー株などからの配当収入が銀行を潤したからこそ「欧州最強の銀行」と呼ばれた。ところが30年前の1989年にベルリンの壁が崩壊し、欧州統合が加速すると、安定した収益構造に変化が生じる。
 まずはグローバル化したドイツ企業に幅広いサービスを提供するため、自らも国際化する必要があった。さらに欧州の盟主となったドイツのトップバンクとして「閉鎖的な商慣行の排除」に協力せざるを得なくなった。そこで着手したのが株式の持ち合い解消。カネとヒトで産業を支配する構図はなくなったが、保有株の売却益を手にした。
 豊富な資金は新天地と見定めた国際業務に投じた。89年に英モルガン・グレンフェルを傘下に収めて橋頭堡(きょうとうほ)を築くと98年には米バンカース・トラストを買収した。90年代後半の日本の金融危機の際は、さくら銀行(現三井住友銀行)を買うとの風聞が流れたこともある。
 グローバル化一辺倒ではなく、国内を深掘りしようと考えなかったのはドイツの特殊な銀行システムによるところが大きい。公的金融が3割のシェアを持ち、強力な地域金融機関もひしめく。欧州のなかでもドイツのオーバーバンキング(銀行過剰)は際立っており、厚い利ざやは見込めない。
 19世紀にドイツ企業の国外進出を後押しするために設立されたドイツ銀行は、プライドにかけてもグローバル競争で負けるわけにいかなかった。それを象徴するように同行の投資銀行部門は90年代前半には会議が英語に切り替わった。
 「国際化という選択は正しかったが、短兵急にやりすぎた」。当時の経営陣は取材に対し、異口同音に反省の弁を述べる。いきなり米ゴールドマン・サックスなどと対等に戦うという作戦は裏目に出た。ドイツ流の堅実経営は姿を消し、利益至上主義がはびこった。もうけようという焦りが不正取引を招き、巨額損失となって経営をむしばんだ。慣れぬ投資銀行業務で無理が生じたのは間違いない。つまり慢心し、やり過ぎてしまった。
 08年のリーマン・ショック、09年からの欧州債務危機で損失が膨らむが、対応は後手に回り、迷走した。コスト削減のため、手間のかかる個人取引の縮小を打ち出したと思ったら、すぐに撤回。社内の雰囲気は悪くなり、しばしば首脳陣を批判する怪文書が出回った。
 欧州統合で中・東欧という生産拠点を見いだしたドイツの製造業は息を吹き返し、ドイツの「一人勝ち」と呼ばれる活況を生み出した。その陰で安価な労働力や安い通貨という恩恵を受けることのなかった金融セクターは負け組となって沈んだ。その象徴がドイツ銀行。同じように無理した民間大手のドレスナー銀行は08年にコメルツ銀行救済合併されて姿を消し、背伸びした州立銀行も実質破綻に追い込まれた。」

焦る政治 追い詰められたドイツ銀行 (写真=ロイター) :日本経済新聞

 国内にマーケットがなく、対外進出は失敗。これでは、ドイツ銀行が再生する可能性はほぼ皆無でしょう。

 むしろ、ドイツ銀行の「飛ばし」がどれほどの規模なのかが問題になるはずです。リーマン危機の傷跡を中国との関係で何とか隠しおおせているのが現状でしょう。中国経済の失墜とともに、ドイツ銀行の崩壊は回避できないと考えられます。

 それはともかく、ドイツも日本と同様に金融の国際化を進めたために、かえって金融業界が苦境に陥ったという指摘には考えさせられます。金融業界の立て直しのためには、金融の国際化というベクトルを逆向きにする、たとえば、国内の株の相互持合いを再び合法化することも検討してもよいのではないでしょうか。