煙草の話 御礼とお詫びに代えて
昨日から多くの方に読者になっていただいています。本当に有り難い限りです。今日はたまたま連絡せねばならない相手が多く、また予定外の来客があり対応に時間が取られていました。今日はもうすこしエントリーを立ててから床に入る予定ですが、御礼とお詫びをかねて、昔の話など語ってみようと思います。
現在はもう吸いませんが、大学時代は煙草をよく吸っていました。まず手始めにドイツの煙草のGERBE SORTEを吸っていました。
それから少し経つと、GITANES
もうすこし慣れるとフィルターのない両切りのGAULOISESを吸い始めました。この煙草は、下宿の近所の地下1階にある無国籍料理の店(名前は忘れた)の自動販売機で販売されていました。
ゲルベ・ゾルテは本国ドイツでも販売されていないようですね。ジタンとゴロワーズは現在でも購入できるようです。
現在は煙草はたしなみませんが、なぜ大学時代に煙草を吸っていたのだろうと振り返れば、少しばかりの背伸びがあったのかとも思います。それでも、一人下宿に帰り、ほっと一息つくときに吸う煙草は、心からリラックスさせてくれたものです。大学で多くの刺激を受けながらも、自分の立ち位置にとまどう自分がいました。そんなときに何とはなしに吸っていたのがこれらの煙草でした。だから、これらの煙草は、私のかつての友人、悪友だったのです。
特にジタンに言えることですが、香りに爽快感がありました。夜の静寂に包まれる中で、低い音でビル・エバンスを、ジョン・コルトレーンを、ソニー・ロリンズを、そしてセロニアス・モンクを聞いていると、ふと思考が煙と共に宙に舞うのを感じていました。
ただ、この頃の私は知らなかったのです。この世の壮麗な悪を。そして、醜悪な正義を。しかし、今振り返れば、煙草の煙がたなびく奥に、異常な世界のあり方をほのかに感じていたのかも知れません。
当サイトは、この煙草の煙を突き抜けたところが出発点になっています。その醜悪さ故に、読者の皆様の気持ちを損ねるのではないかという恐れと、それでも、その真実故に、何かのよすがにしていただけるのではないかという希望が今でもない交ぜになっています。
何があったとしても、人は何かをせずにはいられないものです。読者の皆様には今後ともご贔屓ご鞭撻をお願いする次第です。