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イスラエルの高校で始めるペルシャ語 

まずはこれだけペルシア語 (CDブック)

 日本でも、高校で第二外国語を勉強する場合もよくあるようです。私の大学時代の友人は、幼稚園(?)から高校までフランス語を履修しており、大学受験もフランス語でした。大学入学後も、フランス語の初級クラスは免除されていました。早くからフランス語を勉強すれば、大学でも有利という話なのですが、イスラエルの場合は少し異なるようです。

 

 元ネタはロイターのようですが、ハーレツ紙からです。
「イランとのシャドー戦争が拡大している中で、イスラエルはスパイ活動のためにペルシア語話者に焦点を当てるようになっている。そしてイスラエルの学校は潜在的な新兵を喜んで提供している。
 2015年以来、ベン・グリオン高等学校は、イスラエルの教育制度でも独特なプログラムを運営している。この高校では、第11学年と第12学年は、元国家安全保障担当官のピニ・シミロビッチPini Shmilovichの肝煎りにより、ペルシャの言語と文化の学習に特化している。
 ピニ・シミロビッチによれば、卒業生の何人かは、すでに、イスラエルの情報部隊で勤務している。
 先月のイスラエルの刊行物によると、イランの核関連文書の秘密を摘発した後、膨大な量の翻訳と分析が要求されていることが明らかになった。
 「イランはイスラエル共和国の主要問題の1つであり、今後もこの分野の専門家となる人材を育てなければならないと考えている」とシミロビッチは、テルアビブ郊外のペタ・チクバにある学校で述べた。
 毎年彼のプログラムを卒業した約25人の学生は、軍事情報部門の自然な候補者であり、彼らは「この種の行動に関与したり、翻訳や読んだり、それらの資料を分析するだろう」と、いわゆるイランの「アトミックアーカイブ」に言及しながら、彼はこう付け加えた。
 多くのイスラエル人は18歳で軍に徴集されている。イスラエルはスパイ活動の募集政策についてコメントしていない。 しかし、時としてその内容が明らかになるときがある。
 イスラエルのテレビは、2013年に軍事情報士候補者が、生徒の顔にフィルターをかけて、ヘッドフォンで聞いたイランのスラングを暗唱している光景を放映した。先月、同じ部門の兵士たちが、卒業式に出演し、ペルシャの民謡を唱えるところがソーシャルメディアに流出したビデオで公開された。
 イスラエルでは、1950年代と1979年のテヘランでのイスラム革命以来、イランのユダヤ人移民が大量に流入した。それは、家庭でペルシャ語の流暢さを身に着けた潜在的なスパイの巨大な人材プールを提供した。
 今ではペルシャ語のネイティブなスピーカーの流入は減少しており、イスラエルペルシャ語を身に着けるということは、授業を受けるか、情報部勤務になるか、イランの移民向けのラジオ放送に従事するということを意味する。
 ペタ・ティクバ高校の「イラン、安全保障とインテリジェンス」というプログラムは、必ずしも、先月シリアでイスラエル軍が戦った敵との戦争に準備するものではない。
 イランの生まれのミュージシャンであり、学生にペルシャの詩を教える先生であるハンナ・ジャハンフォルズ(Hanna Jahanforooz)は、「私たちは、イランに関するすべての味と香りの経験を、国民としての市民として、何千年も前の壮大な文化に遡るイランに関係するすべてのことを提供しています」と彼女は語る。彼女は、ペルシャの詩、遺産、歴史を教えている。
 このプログラムに参加している17歳の学生が匿名の条件で語ったのは、イラン文化との接点を、安全保障の必要性を超えて心を広げるものだと述べている。
 「将来ペルシャ語は役に立つと思います。しかし、必ずしも特定の方法で役に立つとは思いません。」と彼女は語る。「しかし、私の考え方は、コースが始まった時から大きく変わりました。このコースで、調査し、理解し、学ぶ道具がより多く身につくと感じています。このコースのおかげで考え方が広がりました」
 イランにおけるヘブライ語学習の詳細は概略にとどまっている。
 「大学ではヘブライ語を押してているところがいくつかあるのは確かだ。あくまで噂だがね」とテルアビブ近郊の学際部門を研究するヘルツリヤセンターの専門家であるメイア・ジャブダンファルは述べている。
 「現在知られているのは、個人授業でヘブライ語を教えているイラン政府に関係を持つ個人がいるということだ」と彼はロイターに語っている。」

One step ahead of Iran? Israel's new Farsi speakers start young - Israel News - Haaretz.com

 潜在的国の言語や文化は戦う前から十分に研究調査しておくというイスラエルの姿勢がよくわかる話です。翻って、日本はどうでしょうか。戦間期においても、戦後においても、現在ですら、こうした姿勢は皆無なのではないでしょうか。

 いずれ戦争が起きるのですから、これぐらい割り切った考え方も必要になると思います。