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第二次朝鮮戦争の帰結から北朝鮮の勝利条件を逆算する(2)

 またしても9月15日にミサイル実験を行った北朝鮮ですが、果たして勝算はあるのでしょうか。今回はパキスタンサウジアラビアをキーワードに考察してみます。

 

 北朝鮮の狙いがアメリカとの国交回復にあるということは(1)で述べたとおりです。その時のモデルとして北朝鮮が考えているのは、パキスタンなのです。
 なぜなら、パキスタンは、無理やり核実験を行い、核保有国のままアメリカの同盟国の地位にとどまっているためなのです。

1.パキスタンの核開発の歴史
 パキスタン核兵器開発の歴史は1965年に遡ります。この年に、カシミール領有権をめぐりインドとの軍事衝突が起きました(第二次印パ戦争)。
 当時の外相アリ・ブットは、インドを非難しましたが、インド・パキスタンの両国はアメリカ、イギリス、ソ連などの圧力により、国連の仲介する停戦に同意することになりました。両国の捕虜交換と撤兵に合意したものの、国内世論はこれに反発したのです。これが、パキスタンの核開発を推進した大きな原因でした。
当時のブット外相は「もしインドが原爆をつくるなら、われわれは草や木の葉を食ってでも、あるいは飢えに倒れようとも、自前の原爆をつくってみせる」と語っていました。70年にNPTが発効しますが、インドが参加を拒否し、パキスタンもインドにならって参加を拒否しました。
 そして72年にブットが首相に就任すると、直ちに原爆計画は復活したのです。パキスタン政府は仏との間で再処理施設の契約を成立させ、ついで米、英、仏、カナダなどにいた多くの原子力科学者を呼び戻しました。
 インドとの関係ということでいえば、1972年7月2日、ブットはインドを訪問し、インディラ・ガンディー首相と交渉しました。その結果、和平、捕虜の帰還、カシミールでの停戦ライン画定などを定めたシムラー協定に調印しました。その結果、インドとの緊張緩和は実現したのですが、核開発は伏流水のように継続されることになります。
 74年、インドはついに初の核実験を行います。それに対して、パキスタンでも核兵器開発には加速がかかることになります。当時首相を務めていたアリ・ブットが77年7月のクーデターで失脚した後も、次のハク大統領が核開発を積極的に推進しました。この動きに懸念を覚えたのがアメリカです。国際世論を受けて、フランスが再処理施設の契約破棄に動き始めると、パキスタンは直ちにウラン濃縮へと方向転換しました。
アメリカはパキスタンに、国際原子力機関IAEA)の原子力施設の査察を受け入れるよう説得したものの、パキスタンは拒否しました。アメリカは経済援助も停止しましたが、パキスタンは核開発を継続しました。そして、パキスタンは98年5月、インドの核実験再開にあわせて核実験を成功させ、核保有国となったのです。
 そもそも発展途上国であるパキスタンが独力で、ましてや西側諸国の助力をなくして独自で核開発を行えるはずもありません。パキスタンの核開発に対して資金を拠出していたのはサウジアラビアでした。
 なぜ、サウジアラビアがと思われる方もいるでしょう。79年にイランに革命が勃発し、シーア派イスラム政権が確立します。この革命時には、米国大使館員も捕虜となり、アメリカの権威の失墜がだれの目にも明らかになりました。その一方でサウジアラビアは、スンニ派イスラム教を信奉しているのです。スンニ派が多数派とすると、シーア派はイラン付近だけで進行されているローカルな分派です。シーア派に対抗しなければという思いが、パキスタンの核開発への協力につながったのです。ですから、現在ですら、サウジアラビアで必要になれば、パキスタンの核はサウジアラビアに持ち込まれるはずです。
 
2.パキスタンが核保有国として認められた理由 
 パキスタンも、核保有が無条件に認められたわけではありません。第一に、ほぼ同時に核保有国になったインドに対抗するという安全保障上の要請がある程度りかいされたこともありますが、一番大きな影響を与えたのが2001年のアメリカ同時多発テロ事件でした。このテロ事件の後、すぐにアルカイダのビン・ラーディンを追い求めて、アフガニスタン戦争が始まりました。そのための平坦拠点として、パキスタンは欠かせない存在になったのです。ある程度理解ができる核保有の動機と共に、アメリカによるアフガニスタン戦争、そしてイラク戦争のために、いわばなし崩しに保有国としての地位を認められたのです。
 それでは、北朝鮮パキスタンのように核保有が認められるのでしょうか。結論から言えば、それはあり得ません。核実験に関しては、インドのシャクティ実験(5月11日と5月13日に計5回実施)に対抗し、パキスタンは1998年5月28日に5回実施しています。短期間に集中して行っているのであり、北朝鮮のように何度もだらだら行っていません。そして、肝心の核爆弾ですがパキスタンは40キロトンの規模でした。
 今回の北朝鮮の核爆発が250キロトンですから、北朝鮮の一連の活動が、自国の安全保障を確保すると言うよりも、世界を恫喝することに主眼が置かれていることは明らかでしょう。しかし、このことが北朝鮮のアメリカ国交樹立の最大の障害であるわけでもないのです。実際、パキスタンに認めて、北朝鮮に認めないということはあり得ないと金正恩は考えているはずです。それでは、なぜアメリカは北朝鮮との国交樹立に動けないのか。それを次に考察しましょう。